「うちの子、語彙力がなくて…」
「いつも『やばい』か『むかつく』しか言わない」
もしあなたが、子どもの国語力を単なる「受験科目の一つ」と考えているなら、今すぐその認識を改めてください。
東日本大震災の復興支援工事の責任者として数多の修羅場をくぐり抜けてきた私は、断言します。
国語力とは、自分を守るための「最強の防壁」であり、折れない心を支える「基礎工事」そのものであると。
自分の感情を言葉にできない子は、得体の知れない不安や怒りに飲み込まれ、自己肯定感をすり減らしていきます。
逆に、自分の気持ちに正確な名前(名前)をつけられる子は、どんな逆境でも自分を見失いません。
今回は、なぜ「言語化」が自己肯定感に直結するのか。
その驚くべき真実を、現場のプロ視点から解き明かします。
1. 感情の言語化は「心の安全管理」である
工事現場において、最も危険なのは「何が危ないかわからない」状態です。
「あそこらへんが、なんとなく変だ」という曖昧な報告では、事故は防げません。
「足場の3段目、クランプの締まりが甘く2ミリのガタがある」と正確に言語化できて初めて、対策(安全)が生まれます。
子どもの心も同じです。 「なんとなくイライラする」「なんか悲しい」というモヤモヤは、言語化されない限り、心の中で巨大な怪物(ストレス)へと成長します。
- 「友達に仲間外れにされて、疎外感がある」
- 「期待に応えられなくて、申し訳なさを感じている」
- 「自分だけできないのが、悔しくて情けない」
このように感情を細分化して言葉にすることを、心理学では「感情粒度を高める」と言います。
自分の状態を正確にラベリングできた瞬間、脳はその感情を客観視し、コントロール下におくことができるのです。
これこそが、自己肯定感の土台となる「自己制御感」の正体です。
2. ぱんぷかんの教育哲学(1):復興支援の現場で見えた「言葉の力」

ここで、私が復興支援工事の最前線で目撃した、ある真実をお話しします。
【ぱんぷかんの教育哲学:心の復旧は『言葉』から始まる】
泥を掻き出し、家を建てる。それは物理的な復旧です。しかし、本当の意味での「心の復旧」には、言葉が必要でした。自分の辛さを「辛い」と言葉にし、誰かと共有できた人から順に、前を向く力が湧いてくる。東日本大震災の現場では、被災者の方々は誰もが自分の思いや考えをなかなか吐き出せずにいました。「つらいのは自分だけじゃない」「お隣さんは自分以外の全員を津波で亡くしている…」本当はご自身もつらいはずなのにそれを言葉にすることがはばかられる、そんな状況の方がたくさんいました。また、自分の本当の気持ちを言葉にできない方もたくさんいらっしゃいました。私は被災建物を解体する現場の責任者でしたが、被災された方々と打ち合わせをするたびに自分の感情を言葉にできないもどかしさを感じたものでした。言葉を持たないことは、地図を持たずに暗闇を歩くようなものです。逆に国語力を育てることは、子どもに「心の現在地」を教える地図を渡すことなのです。当時私は被災された方々との打ち合わせでは、できるだけその方々の言葉を引き出すように努めていました。ほとんどの方がおっしゃっていたのが「本当はこの家を壊したくはない…」という事でした。家族の思い出、先祖代々の土地、戻ってきてこの家にまた住みたい…。理由は様々でした。でも、その理由を聞いてあげることも私の仕事だと思っていました。正直なところ、工事をする側としては理由なんていいんです。解体する際に残してほしい物や移動してほしいもの、解体後の土地の仕上がりなど、工事の品質を落とさないような打ち合わせができれば十分なのです。でも、それでは千年に一度という大震災の被災者の「心の復旧」にはなりません。私達が目指していたのは現場の物理的な復旧だけではなく、精神的にも大打撃を受けてきた被災者の方々の「心の復旧」なのです。
3. 「国語力がある子」はなぜ、人間関係で迷わないのか
自己肯定感が高い子は、他人とのコミュニケーションにおいて無駄に傷つきません。
なぜなら、「自分の意志を正確に伝え、相手の言葉の裏側を読み取る力(国語力)」があるからです。
国語力がないと、相手の何気ない一言をすべて「攻撃」と捉えてしまったり、逆に自分の伝えたいことが伝わらずに「どうせ分かってもらえない」と殻に閉じこもってしまいます。
- 解釈の多様性: 「あの子の言葉は、悪口ではなく、単なるアドバイスかもしれない」という視点。
- 非暴力コミュニケーション: 「あなたが〇〇と言うと、私は××な気持ちになる」と論理的に伝える力。
これらのスキルはすべて、語彙力と読解力という「国語の基礎」の上に成り立っています。
4. ぱんぷかんの教育哲学(2):教育現場で目撃した「言葉の開通」
私が実際の教育現場で目撃した、ある忘れられないエピソードをお話ししましょう。
【ぱんぷかんの教育哲学:感情の『配管詰まり』を解消せよ】
ある日のこと、一人の子が友達から「動きが遅い」と指摘され、その場で泣き崩れてしまいました。しかし、その子は「なぜ自分が泣いているのか」が自分でも分からず、ただパニック状態で涙を流し続けていたのです。
私は彼を責めることなく、建設現場での「事故調査」と同じように、出来事を一つずつ、順を追って丁寧にヒアリングしていきました。「何が起きた?」「その時、どう思った?」。
すると、彼の中でバラバラだった記憶と感情が繋がり始めました。 「……僕は、動きが遅いことを指摘されたのが、悲しかったんだ」
この瞬間、彼の瞳に「納得」の光が宿りました。 自分の感情に「悲しい」という名前がついた瞬間、それは「正体不明の苦しみ」から「対処可能な課題」へと変わったのです。
彼はその後、自分の口で友達に「そう言われて悲しかった」と伝えることができました。友達も「ごめんなさい」と謝ってくれ、凍り付いていた現場(関係性)は一気に雪解けへと向かいました。
自分の気持ちを言語化させることは、いわば「感情の配管詰まり」を解消する作業です。言葉という道具を使って、詰まっていた感情を外の世界へと正しく「放流」させてあげる。この『開通』の経験こそが、「自分は大丈夫だ」という自己肯定感を育むのです。
5. 家庭で「国語力=自己肯定感」を高める3つのアプローチ
親ができることは、難しい問題集を解かせることではありません。子どもの心の「配管工事」を手伝ってあげることです。
- 感情の言い換え図鑑: 「むかつく」と言ったら、「悔しいのかな?それとも、期待外れだったのかな?」と、選択肢を提示する。
- 親が「弱音」を言語化する: 「今日はお仕事で失敗して、ちょっと凹んで(凹んで)いるんだ」と、大人が感情を言語化するお手本を見せる。
- 「なぜ?」の余白を楽しむ: 答えを急かさず、子どもがぴったりの言葉を探している「沈黙の時間」を、現場の養生期間のように大切に見守る。
まとめ:国語力は、一生モノの「心のインフラ」
国語力とは、テストの点数を取るための技術ではありません。 それは、自分の感情という「荒波」を乗りこなすための船であり、他人と繋がるための橋であり、自分という建物を支える頑丈な基礎です。
子どもの国語力を育てることは、その子の人生に「一生枯れない自己肯定感」を植えること。 今日から、お子さんの言葉の「余白」に寄り添い、共に新しい言葉を探す冒険を始めてみませんか?

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