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成績が爆伸びするノートの取り方とは?中学で伸びる子の共通点3選

「うちの子、ノートは綺麗に書いているのにテストの点が悪いんです」

「中学校に入ってから、急に授業についていけなくなったみたい」

小学校の教員を16年務め、県内初の小中一貫校で教務主任として「9年間の学びの繋がり」を設計してきた私、ぱんぷかんのもとには、こうした切実な相談が山のように届きました。

実は、中学校で成績が伸びる子と、失速してしまう子の差は、地頭の良さではありません。

それは「ノートを『記録』のために使っているか、それとも『思考』のために使っているか」という一点に集約されます。

この記事では、教務主任という「教育の全体像」を見る立場から、そして現場責任者という「実務」の視点から、一生モノの武器になるノートの取り方を徹底解説します。


目次

1. なぜ「綺麗なノート」の子ほど、中学校で伸び悩むのか

小学校までは、黒板をそのまま写した「カラフルで綺麗なノート」でも、ある程度の点数が取れます。

しかし、中学校という「情報の波」が押し寄せる環境では、そのやり方は通用しません。

「コピー」と「エディット(編集)」の差

伸び悩む子のノートは、いわば「黒板のコピー」です。

一方で、中学校以降で成績をグングン伸ばす子のノートは、自分なりに情報を整理した「編集版(エディット)」になっています。

【ぱんぷかんの教育哲学!:小中一貫校の現場から生まれた『エディット式ノート』誕生秘話】

私が県内初の小中一貫校で教務主任を務めていた頃、ある衝撃的な事実に直面しました。それは、小学校と中学校の「ノート指導」の間に横たわる、深くて暗い「断絶」です。

1. 小学校の「完璧なコピー」が中学校で通用しなくなる理由

小学校の先生方は、本当に熱心です。毎日子どもたちのノートを全て集め、一人ひとりの書き方や答えを丁寧にチェックし、大きな「花まる」をつけて返却します。これは、子どもたちの意欲を高める素晴らしい「ノート指導」に見えます。

しかし、教務主任として中学校の授業を併せて見たとき、ある残酷な現実に気づきました。 小学校で高く評価されるノートの多くは、「黒板の完璧なコピー」だったのです。 「綺麗に書けているか?」「答えは合っているか?」に主眼が置かれ、その子が何を考えたのかという「エディット(編集)」の痕跡は、むしろ『余計な書き込み』として排除されてしまうことすらありました。

2. 中学校の先生たちの悲痛な叫び:「指導したくても、時間が溶けていく」

一方で、中学校の現場は壮絶です。 ある合同研修会の場で、私は中学校の先生方に「なぜもっとノート指導をしないのか」とあえて問いかけました。返ってきたのは、沈痛な表情と切実な声でした。

「先生、毎日3〜4コマの授業を持ち、その後に部活動指導、さらに進路指導や定期テストの作成…ノートを集めて一人ひとりコメントを書き込むなんて、物理的に不可能なんだ。」 「小学校から上がってきた子のノートを見ると、綺麗に写してはいる。でも、その内容を自分の言葉で整理できている子は一握り。教えてあげたいが、そこまで手が回らないのが実情なんだ。」

中学校の先生方は、指導したくないのではありません。「忙しすぎるシステム」の中で、ノート指導という最も重要な『学びの型』を教える余裕を奪われていたのです。

3. 激論の合同研修会:小中の教員がノートを見せ合って起きた「化学反応」

私はこの断絶を埋めるべく、小中の教員が全員集まる研修会を企画しました。そこで行ったのは、「実際の授業ノートの突き合わせ評価」です。

小学校の先生が「最高に素晴らしい」と評価した、定規を使って丁寧に書かれたノートを、中学校の先生に見てもらいました。 すると、中学校の先生からは驚きの声が上がりました。 「確かに綺麗だ。でも、これでは授業の要点がどこか分からない。この子は、自分の疑問をどこに書けばいいのか分かっていないのではないか?」

逆に、中学校の先生が「将来伸びる」と評価した、一見すると殴り書きのように見えるノート。そこには、先生の言葉に対する「?」マークや、関連する既習事項への「矢印」、自分なりのまとめ(エディット)がびっしりと書き込まれていました。 小学校の先生は驚きました。「こんな風に、ノートを『自分の思考の道具』として使っていいのか…!」

4. 体系化された「エディット式ノート指導」の誕生

この研修会での衝撃をきっかけに、私たちは小中9年間を見据えた「エディット式ノート指導」を体系化しました。

  • 低学年: 正確に写す力をベースにしながらも、「自分の考えたこと」を少しだけメモするスペースを作る。
  • 中学年: 「記号(?・!・→)」を使い、情報の因果関係を自分で編集し始める。
  • 高学年〜中学生: 黒板を写すのを半分に減らしてでも、自分の言葉で要約する「エディット(編集)」に重点を置く。

小学校の「きめ細かさ」と、中学校の「論理的思考」を融合させる。これは、小中一貫校という特殊な環境で、先生たちが本音でぶつかり合ったからこそ生まれた、血の通った指導法です。

私は現場責任者として工事現場を指揮した時も、この「エディット」の重要性を痛感しました。複雑な設計図をそのまま見るのではなく、自分の頭で現場の状況に合わせて「編集」し、リスクを抽出する。その力こそが、最後に命を救うのです。


2. 共通点①:ノートの中に「自分の疑問」をメモしている

成績が伸びる子のノートには、必ず「?」や「なぜ?」といった、自分との対話の跡があります。

授業を「対話」に変える技術

彼らにとって、ノートは先生の言葉を溜めるだけのバケツではありません。

先生の言葉をきっかけに浮かんだ「自分の問い」を書き留める場所なのです。

  • 具体例: 先生が「ここは重要だぞ」と言った時、伸びる子は「なぜ重要なのか?」「以前習った〇〇とどう繋がるのか?」を余白にメモします。

これは、本カテゴリーのピラー記事で解説した「読解力=相手の意図を読み解く力」を、リアルタイムで実践していることに他なりません。


3. 共通点②:圧倒的な「余白」と「構造化」

中学校で伸びる子のノートは、一見するとスカスカに見えることがあります。

しかし、その「余白」こそが思考の深さを生み出します。

「余白」は「思考の遊び」

ギチギチに詰め込まれたノートは、後から自分の考えを追記するスペースがありません。

一方、伸びる子はノートを贅沢に使い、行間やマージン(端)を大きく取ります。

【ぱんぷかんの教育哲学!:現場責任者の図面が教えてくれた『命を守る余白』の正体】

ノート術で私が「余白」を強調するのには、教育学的な理由とは別に、もう一つ、私の人生に刻まれた「現場の教訓」があります。

東日本大震災後の被災建物解体現場。私は責任者として、日々、図面や施工計画書を手に現場を駆け回っていました。そこで行われる「三者立ち合い」という非常に重要かつ、繊細な時間。これが私の「余白」に対する考え方を決定づけました。

1. 申請者の涙と「図面の余白」

「三者立ち合い」には、建物の持ち主である「申請者さん」、ルールを管理する「環境省の担当者」、そして実務を担う「現場責任者(私)」が揃います。

ある冬の朝、半壊した古い民家の前でのことです。申請者さんは、解体される我が家を前に、絞り出すような声でこう言いました。 「あの……図面にはないんですが、あの奥の柱にある『背比べの傷』だけは、なんとか手作業で切り取って残してもらえませんか。あの子たちの成長の記録なんです……」

もし、私の持っていた計画書が、予定と数字でギチギチに埋め尽くされていたらどうだったでしょう。 「ルールですから」「もう計画は決まってますから」と、冷たく切り捨てていたかもしれません。

しかし、私の図面の端には、大きな「余白」がありました。 私はその場で、申請者さんの震える想いを、その余白に大きく書き込みました。 『〇〇柱、傷跡保存。手作業で慎重に撤去。』 その一筆が、申請者さんの凍てついた心をどれほど救ったか。余白とは、単なる空白ではなく、「誰かの想いを書き留めるための聖域」なのです。

2. 環境省担当者との緊張感ある「即断」

環境省の担当者は、安全と公費の適正な執行を厳しくチェックします。現場では、図面通りにいかない「不測の事態」が次々に起こります。

「ぱんぷかんさん、ここ、図面より地盤が緩んでいる。重機の配置、このままでは転倒のリスクがあるんじゃないか?」

私は即座に図面を広げ、その「余白」に新しい重機の旋回ルートと補強ポイントを殴り書きしました。 もし図面が情報の「完璧なコピー」で埋まっていたら、こうした現場での生きた判断を記録し、作業員全員に周知させることは不可能でした。 余白があったからこそ、私たちは刻一刻と変わる「正解」を上書きし、事故を防ぎ、命を守り抜くことができたのです。

3. 子どものノートに「余白」が必要な本当の理由

これを子どものノート指導に置き換えてみてください。 黒板を綺麗に写すだけの「余白のないノート」は、先生の指示という「確定した過去」だけで埋まっています。そこには、子ども自身の「これってどういうこと?(疑問)」や「あ、分かった!(発見)」という、今この瞬間に生まれた『生きた想い』を書き込む隙間がありません。

私が教務主任として、そして現場責任者としてたどり着いた結論。 それは、「余白のない計画(ノート)は、変化と想いに対応できない」ということです。

ノートに余白を空けることは、

  • 自分の「迷い」を許すこと
  • 新しい「気づき」を受け入れる準備をすること
  • 「正解」が変わったときに、自分で書き直す力を養うこと

子どもたちには、ノートという名の「自分の人生の図面」に、たっぷりとした余白を持たせてあげたい。そこに、彼らだけの「想い」や「即断の記録」が刻まれるとき、ノートは単なる記録帳を超え、未来を生き抜くための「思考の羅針盤」に変わるのです。


4. 共通点③:語彙力を駆使して「自分の言葉」に変換している

先生の言ったことをそのまま書くのではなく、「つまり、こういうことだ」と自分の持っている語彙を使って要約して書く。

これができる子は、中学校の難解な内容も自分の血肉にしていきます。

要約は「最強の脳トレ」

この「変換作業」を行う際、脳はフル回転しています。

これが下の記事で伝えた

知識(理解語彙)を使える力(使用語彙)に変えるプロセスそのものなのです。

  • ポイント: 難しい定義を、自分の知っている身近な例え話に変換する。
  • 矢印(→)や記号を使って、因果関係を可視化する。

5. 親ができるサポート:「ノートを褒めるポイント」を変える

ご家庭で子どものノートを見る際、どこを褒めていますか?

「綺麗に書けているね」

「字が丁寧だね」

という褒め言葉は、実は「コピー作業」を助長してしまう可能性があります。

これからは、以下のポイントを面白がってあげてください。

  1. 「自分なりのメモ」を見つける: 「この端っこに書いてある『?』、何が気になったの?」
  2. 「構造」を褒める: 「矢印で繋いでるから、理由がすごく分かりやすいね!」
  3. 「思考の跡」を肯定する: 間違えて消しゴムで消した跡や、ぐちゃぐちゃっと書いた計算式こそが、子どもが必死に考えた証拠です。

「ノートは誰かに見せるための作品ではなく、君の頭の中を整理するための最強のツールなんだよ」

このメッセージを伝え続けることが、子どもの自立した学習態度を育てます。


6. まとめ:ノート作りは「尊い自分」の思考を形にする作業

私が教員時代に伝えたかったこと、そして震災後の現場や現在の経営で実感していること。

それは、「自分の頭で考え、それを整理し、形にする力」を持つ人は、どんな環境でも強く生きていけるということです。

ノートの取り方一つで、子どもの思考は劇的に変わります。

それは単なるテスト対策ではありません。 「自分はどう考え、どう世界を理解しているのか」という、尊い自己の表現方法なのです。

まずは、新しいノートを一冊、お子さんにプレゼントしてあげてください。

そして、「余白をたっぷり使って、君の頭の中を冒険してごらん」と背中を押してあげてください。


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